*第8回研究会報告【身体で感じる〈能〉ー能楽師から直接学ぶ、所作・姿勢】

・日時:平成27年2月21日(土)18:00~20:00

・場所:栄能楽堂(名古屋市中区栄五丁目6番4号能楽ビル東館4F)

 (公式Webサイト→)http://www.k4.dion.ne.jp/~gotou/index.htm

・テーマ:<シリーズ能を知るvol.2

 「身体で感じる〈能〉ー能楽師から直接学ぶ、所作・姿勢」

・ゲスト講師:金剛流能楽師 宇高竜成氏

 (公式Webサイト→)http://www.tatsushige3.com/


司会:高山

書記:牛島、高山

 

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


【当日の様子】

昨年12月13日に開催した「音楽舞台としての〈能〉ー現代における試みー」に続いての能シリーズ、第2弾となりました。今回はなんと、国際的にもご活躍されていらっしゃる金剛流能楽師の宇高竜成氏をお迎えしての研究会!いつもにも増して多くの方にご参加頂きました。場所は栄のビル街に位置し独自の存在感を放つ、栄能楽堂。前回ご指導頂いた宝生流の森下光氏のご参加も得て、本格的な能舞台の上で、ユーモアたっぷりの非常に充実したワークショップが行なわれました。

■能舞台の成り立ち

・能はもともと野外劇であった。芝居は芝に居る、野外で観るという意味。

よって、日の傾きなどの日光や自然の音も能の演出の一部であった。

・現在の能舞台は野外で上演するときと比べると少々暗く、今でも改築が望まれている。

・能が能舞台で上演されるようになり、静かな重々しい面が強調されていった。


■能面、扇、衣装などについて

 

◎能面

・能面には約300種類ある。

・基本的に顔の前面全てを覆う形である。

(例外的に、「翁」という演目では下顎が切り離してある面を使う=「切り顎」)

・ただし、通常の人間の顔の大きさより、少し小さめに作られている。

(理由:小顔に見せるため。また、顎を見せて装着することで、話していることが分かるようにするため。)

・能面は角度によって表情が変わる。ただし角度を付け過ぎると妙なことになってしまう。そのため、役者は顔の動きを制限されることになる。

・若い女性の能面を俯くように伏せてゆくと、大変憂いを帯びた表情になる。しかし、よく見ると口の形は笑っている。この矛盾は、能の表現の深さを意味するものとして、海外で論文にされたこともある。

 

◎扇

・座るときには必ず右に置く。

(理由:扇は刀と同じ役割を持たされている。刀はすぐに抜く動作が出来ないように、右に置くのが作法であることから、扇もそれに従っている。)

・右手で開くように作られている。左手で開こうとしても動かない。

・仰ぐのに使ってはいけない。

・持ち方は流派によって異なる。

 

◎衣装

・金糸が織り込んである非常に豪華なもの。演目によって様々な柄が存在し、物語との関連がある。

・元々は、武士が役者にプレゼントするもの。豪華なものを貰えば役者は周囲に言いふらすことから、結果的にプレゼントした側の「文化的ステータス」を上げるものであった。

■能の身体、姿勢、動きなどについて


◎制限

・身体に様々な制限を受けつつ行うのが能である。また、それらの制限によって能らしい身体が生まれる。

・能楽師は様々な制限によって、逆に表現の自由を得ているとも言える。


◎舞と所作

・「まわる」が語源である。旋回運動が基本。

・能の身体の動きは、「舞」と「所作(ふり)」の2つである。「踊り」は無い。(「踊り」には上下の動きがある。)


◎舞台上における進行

・能楽師は能面を着けると非常に視界が狭くなるため、舞台上の「柱」を目印にして動く。(実際に面を着けたところ、左右ばかりか上下も全く見えない。舞台上からは、客席1つ分程度の視界しか得られない。足下を確認するため俯く事も許されないため、不安で半ば自然にすり足になってしまう。)


◎姿勢

・丹田(ヘソの下)に力を入れて、頭の上と足の下の両方向に力のベクトルを作る。

・顔の角度が変わらないように、すり足で歩く。

・回転するときは、かかとだけ、或いはつま先だけを軸にするのではなく、両者に五分五分に体重を乗せて行う。

・右足から左足に(或いはその反対に)身体の軸を移すときは、必ず丹田を通って行う。

・腕は、「球を抱えている」と考え、ふっくらと自然に肘を曲げた状態にする。腕を上げる時は「球が膨らんでゆく」、下げる時は「球が縮んでゆく」とイメージする。(単に筋肉で腕を上げ下げするのとは、明らかに違った身体のあり方になる。)

◎型

・多くの「型」があり、それらが能の基本動作となっているが、ほとんどの型に意味はない。

(例えば「かざし」という型は、眩しくて顔を隠すという動作から生まれているが、既に意味は失われている。)

・ものまね芸、日常の動作から「型」は生まれている。

・能の舞台では、抽象的な「型」に言葉や演劇的な「色」を付けることで、意味を発生させている。(例えば、腕を上げ下げする型の場合、力を抜いて上に上げてゆくのか、力を入れながら上に上げてゆくのかでは、型の表現する意味が異なってくる。)

・型に「色」を付ける方法の1つとして、「カウンターウエイト」がある。1つの身体の中で、前に進もうとする動きに対し、そうさせない動きを作って、葛藤を生む。

・お能に「即興」は無い。(しかし、家元は許される面もある。それがいつしかスタンダードになるということも。)

・型の練習に際して、意味は教えられない。ひたすら師匠の真似をして覚える。

(意味は自分で考える。意味は人それぞれで感じるものである。)

・一つ一つの動作は元々の意味を失っていき、形骸化しているので、動作の意味を考えず、そういうものとして受け入れていく。

・型という「縛り」があることで、能楽師は逆に「自由」を得ることが出来る。

◎幽玄

・幽玄とは、抽象美である。曖昧でなんとなく・・・が幽玄とも言える。


◎序破急

・自然な流れ。太陽が昇って色が変わるというような。

・人為的に、自然さを作って行う。


◎能の美

・自分の内面を見せないように振る舞う。

・例えば、平敦盛など、16歳という若さで早世したような人物を表現するときは、内面を抑えて表現する。そうすることで逆に人間的に見えてくる。

・30%しかみせないのが難しい。

・100%見せてしまうのは「神様」のあり方である。


◎流派による違い

・「舞の金剛、謡の宝生」と言われるが、得意不得意というよりは、「金剛流=舞を見せるために謡は控え目」「宝生流=謡を聴かせるために舞は控え目」と考えたほうが良い。

(文責:高山、牛島)